2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2008/11/17 月曜日

編集/作業

編集と言っても、今度はビデオの編集ではなく、バイオハザード予防市民センターのニュースレターの編集。2ヶ月に1回発行していて、ふと気付くと次号の発行が迫っているのであった。幸い、原稿が遅れることなく届いたこともあって、いざ編集を始めてみると意外とスムーズ。やっかいなページ調整も今回はなんの問題も無く、数時間の作業であっさり編集は終えることが出来た。やれやれ。

夕方、事務所に行く。こちらは、引き続き、VIDEO ACT!ドキュメンタリー祭の作業。それでも、さすがに終わりが見えてきた。一部まだ未着な作品があるけれど、多分、ちゃんと届くでしょう。もっとも、まだ上映用テープをチェックしていない作品もあるのだが・・・。何はともあれ、ちゃんと見てもらえるようにしないといけない。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:43:24

シネ・ウインド/訃報

15日 昼過ぎの新幹線に乗って、一路新潟へ。駅には、上映後のシンポジウムの司会をしてくださる、小川さんが来てくださっていた。歩いて、シネ・ウインドへ。シネ・ウンドは8年前、『科学者として』を上映してくださったのだけど、その時は来れなかった。だから、そういう意味ではやっと来れた、という感じ。山本起也監督の『ツイノスミカ』の上映がちょうど終わるところで、山本監督にもご挨拶。しばし、待った後、新潟日報の取材。17:00には、シンポジウムのパネラーの外山さん、荒川さんも来られて、簡単な打ち合わせ。18:00上映スタート。今日も、一番後ろに座ってみていた。今日は反応がいいような気がした。上映後、拍手がおきたのはやはりうれしいもんです。シンポジウムが始まる。パネラーの方の映画の感想に答える形で、あれこれしゃべる。特に自然と話はアートプロジェクトになる。僕は、PHスタジオの「船をつくる話」だけではなく、6年前にやったニュータウン アートタウン展の経験も話す。ちょっとしゃべりすぎたかなあ、とも思うのだけど、観客の方から質問も出て、いい雰囲気で出来たのではないか、と自分では思うことにしよう。月曜日から金曜日まで上映があるので、一人でも多くの方に見て欲しい、と思う。

その後、打ち上げ。小川さんを始め、新潟と言えば、佐藤真監督の『阿賀に生きる』に関わっていた方も多く、しばし、佐藤さんの話になる。僕は僕なりに思っていることをしゃべっていた。もう一つ、新潟と言えば、越後妻有トリエンナーレ、来年始まる「土と水の芸術祭」もあって、こちらの話でも盛り上がったり、激論したり・・。気が付くと、日にちをまたいで1時になっていた・・・。とても楽しい日でした。

携帯に留守電が入ったことは気付いていたのだけど、つい、チェックするのを忘れていた。聞いてみると、15日、シネマテーク高崎の総支配人・茂木正男さんが亡くなられた、という訃報だった。ショックだった。悲しかった。今年6月、シネマテーク高崎で『船、山にのぼる』を上映していただいた時、初日に伺ったところ、闘病中でかなりつらそうでありながら、映画館の前で待っていてくださった。上映前に食事をした折、「すごい映画を作られましたね」と言ってくださり、嬉しかった。ダムのことについてもいろんな話をした。僕は、『科学者として』を高崎映画祭で上映していただいた時に初めてお会いして、その後、山形でお会いするぐらいしか出来なかったのだけど、こうして今年、新作を見て、上映してもらえたことが嬉しかった。わずかな出会いだったかもしれないけれど、その時の茂木さんのことを思い出していた。聞けば、16日がお通夜のようで、新潟からだと高崎に寄れるから、翌日、お通夜に行くことにした。

16日 今日は、10:30~シネ・ウインドで”にいがたインディーズ・ムービーフェスティバル”があるので、最初から見ることにした。満員立ち見。少しうらやましい。こうして、地域で映画塾があったり、映画館で発表の場がある、というのはいいなあ、とあらためて思う。2プログラム見る。作品数が多いので、感想は割愛。

遅い昼ごはんを食べて、新幹線へ。17:00過ぎ群馬県の吉井駅に着く。斎場まで歩く。さすがに皆さん喪服で、普段着の僕は恥ずかしい。でも、こういうことは気持ちが大切、と自分に言い聞かせる。マイクを握って微笑む茂木さんの遺影。本当に多くの方が来られていた。焼香を済ませて外に出ると、全国のミニシアターの支配人の方々など映画関係者が多くおられた。僕は簡単にご挨拶をして、先に会場を出た。たまたま、高崎映画祭の方が高崎市まで車に乗せてくださった。再び、新幹線に乗って、21:00頃帰宅。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:00:02