2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2011/11/20 日曜日

日本シリーズ

なんだかんだと、今年の日本シリーズを結構、見てしまった。僕は現役時代の秋山選手が好きだったので、監督になってからのホークスも気にはなっていたのだった。結果、今日、優勝できてよかった。本当に点が入らない日本シリーズだったけど、逆の見方をすれば、どちらのチームも最終的に相手を攻略できなかった、という印象もある。久しぶりに野球をテレビで見たけど、今回のような投手戦、比較的短い時間で進む試合でも3時間半ほどはかかるので、現在のせわしない時代にはやはり相当忍耐を強いるものかもしれない。特にサッカーを見てる人には長く感じるだろうなあ。(あ、もう何度も書いたけど、やっぱり野球は初めて見る人にとってはルールが複雑だと思う。三振だって説明するのは大変かも。めっきりテレビ放送が少なくなった野球だけど、来年以後は副音声で「初めての野球」的な解説、ルール説明などを入れながらやると少しは見てもらえるのかも、とも思う。)

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:12:51

2011/11/19 土曜日

トークライブ・映画で語るサイエンス

今日はえらい暴風雨の中、「トークライブ・映画で語るサイエンス」を聞きに行ってきた。旧知の粥川準二さん(ライター)と斉藤勝司さん(サイエンスライター)が映画を題材にサイエンスを語る第2回。今回のテーマは「核・原発」であった。話は『ゴジラ』から始まった。その後も多くの映画を紹介されていて、僕は意外と見ていない映画が多いことに気付いた。今後気になっているのは、冷戦終結後、核による世界破滅を描いた映画はかなり減り(核に関しては「核テロ」映画が増えた)90年代以後はバイオハザードもの(病原体による人類滅亡)が増えた、という印象があるのだが、はたして福島原発の事故以後、フィクション映画の世界では再び「核」が取り上げられるのか、ということだったりする。(多分、ハリウッドではあまり影響ないのでは、とも思っているのだが。)

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:52:37

2011/11/18 金曜日

不安定

今日は心身ともに不安定。こういう日は休むことにする。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:05:33

2011/11/17 木曜日

『コンテイジョン』

なんだか見た映画の話ばかり書いている気がするが、まあ、いいか。今日は『コンテイジョン』を見た。まがりなりにもバイオハザードに関する問題をいまだに追いかけている身としては見なければいけないだろうなあ、と思っていた。感想に入る前に、近年、SARSや新型インフルエンザなどの流行もあって、病原体によって人類の危機が訪れる映画が増大した。加えて、多くの作品が作られてきたゾンビ映画も人がゾンビ化する原因として病原体を理由にするものも多い。だから、さすがにもう、全然、全部追いかけることなんてしていない。時々、アンテナに引っかかった作品を見るぐらいだ。で、本作だ。映画の宣伝ではアカデミー賞受賞俳優が多数出演していることを売りにしているが、監督のソダバーグはそこを逆手にとったことが面白い。ほとんどの出演者が見事にスターのオーラを消しているのだ。時々、こういうことをやるのがハリウッド映画の懐が深いところ。バイオハザードの描写としては、多分、僕は初めてちゃんとしているな、と思った。世界中のパンデミックが描かれるのだが、突然血を吐くような扇情的な描写を避けている。また、感染の広がりも徐々に徐々に広がる様がきちんとしていて、突然人類が死滅したかのようなバカな描写もなく抑制されている。同時に、いわゆるハリウッド映画のセオリーでは、問題を英雄的に解決するヒーローが描かれたりすることがあるが、こうした人物も出てこない。唯一、英雄的とも言える行動をするのはCDC(疾病管理センター)の女性研究者が開発途上のワクチンを自分に打つことぐらいだろう。(それすらも、「英雄じゃない」と自分で打ち消す。)また、過剰な人間ドラマを持ち込まない点にも好感を持った。要は基本的にはパニック映画ではあるのだが、そのパニックがじわじわ進行し、少しずつ世界が壊れていくのだ。・・・と僕は映画を面白く見たのだが、現実に目を向けると気になることがある。近年、新型インフルエンザや鳥インフルエンザの人への感染が過剰に危機感を煽られている、と僕は感じている。ウィルスは変異するので、強毒化する可能性は原理的にはあるのは当然だが、本当にパンデミックが起きるかは別問題だ。一部の学者が過剰に危機感を強調したことによって、ワクチンの備蓄などに膨大な予算が使われている。(ワクチンには有効期限があるので、使われなかったワクチンは毎年大量に破棄される。)鶏が先か卵が先か、ではないが本作のようなフィクション映画も人びとが危機感を持つことにいくらかは貢献しているだろう。もし仮に「予防」として対策が必要だと言うのなら、現に今起きている原発事故後に懸念される疾病も同じように防がれなければならないはずだ。(もちろん、病原体と放射能では疾病が起きる原理が全く違うので様相が違うのは当然だ。)片や起きてもいないパンデミックの危機感を煽り、片や現に進行しつつある放射能による被害の危険を低く見積もるのは、政府の対策としてとてもちぐはぐだと思うのだ。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:19:46

2011/11/16 水曜日

大切な日

今日は僕にとってとても大切な日でした。諸般の事情で詳しくは書けないのですが。いずれ詳しく書ける日が来ることを願って。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:35:30

2011/11/15 火曜日

『天皇ごっこ』

気が付いたら今週末で上映が終わると知って『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』(監督:大浦信行)を見に行った。正直に書くと僕は見沢知廉の本を読んだことがない。だからファンでもない。そんな人間が見るのはどうかと思うが、逆にどういう人か知りたいからこそドキュメンタリー映画を見る、ということはある。タイトルの「天皇ごっこ」は、内ゲバで同志を殺した見沢知廉が獄中で書いた小説。本作は基本的に生前の見沢知廉を知る人びとが彼のことを語り、実像を浮かび上がらせるのだが、もうひとつ大きな仕掛けがあって、彼には双子の妹がいたという虚構を導入し彼女が彼の足跡を訪ねる、という演出が加わっている。僕はこの演出が最後まで馴染めなかった。話が脱線するのだが、最近、文庫になった「ゼロ年代の想像力」を読んだ。この本で90年代以後の小説・アニメ・漫画などでたくさん描かれたいわゆる「セカイ系」の作品が批判されているのだが、その大きな根拠に母性的承認に埋没していることが挙げられている。本作は必ずしもその構図に当てはまるわけではないが、同じような心象を感じてしまった。それは本当に見沢知廉を描くにふさわしい企てだったのか、僕はどうしても疑問をぬぐえない。各人が語る、見沢知廉の思考はそれぞれに興味深いものだった。もうひとつの特徴としては、インタビューの映像もかなり凝っている。撮影は近年の若松孝二監督作でもなくてはならない存在になっている、辻智彦。独特の絵画的ライティング、カメラ移動など飽きさせない描き方が随所にあるのはさすがだ、と思う同時にちょっとやりすぎかな、と思うこともあった。例えば、カメラを動かし人物からカメラを外すカットなどだ。「画」としては面白いのだが、はたしてこの映画にふさわしい演出なのかはちょっと考えてしまう。総じて、僕はいろんな演出が凝らされた映画なのだけど、本当はもっとソリッドな映画の方が見沢知廉という人物を描くにはふさわしかったんじゃないか、という気がしている。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:49:18

2011/11/14 月曜日

格闘技/プロレス

最近読んだ本を2冊。まず、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著)700ページを超える大著だが一気に読める。まずは木村政彦、ひいては柔道(今の講道館柔道とはまた違った形の柔道)がいかに強かったのかを丁寧に描き出し、プロレスラー力道山戦で「負けた」理由を解き明かす。傑作。もうひとつは『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(柳澤健著)僕は女子プロレスにも、クラッシュ・ギャルズのファンでもないが、著者の『1976年のアントニオ猪木』がめちゃくちゃ面白かったので読んでみた。前作の興奮度には及ばなかったのだけど(題材が違うから)、クラッシュ・ギャルズがどういう存在だったかが浮かび上がる。両著作(あるいは近年のプロレス、格闘技本)の共通項はプロレスが「スポーツ」ではなく、シナリオがある「ショー」であることが前提として語られている点。少し前なら、こうした視点の本は書けなかっただろう。そうした意味では、「真実」を探るノンフィクションとしては鉱脈がまだまだありそうだ。同時に、ではなぜプロレスが美しいのか、もまた書けるような気がする。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:14:38

2011/11/13 日曜日

『1911』

今日は辛亥革命を描いた『1911』を見たのだが、正直、あまり面白くなかった。体調が悪かったせいもあるかもしれないけど。僕はジャッキー・チェンは好きなので、出演作100本目と聞いて、あらためてその偉業を思う。本作では総監督でもあり、主要な出演者でもあるのだが、いつものアクションはほぼ封印。そのことは寂しいけど、役者としての新しい面を見せたい意欲も分かる。けど、僕が中国の現代史に疎いせいもあるのだが、どうも大河ドラマ的な展開の中で登場人物たちの絡み方、描き方が平板で乗り切れなかった。特に、前半は革命の戦闘場面はそれなりに見せるのだが(それでもこれらのシーンもただ爆発が派手なだけで、今一つ熱くなれない)後半の皇室を含めた様々な人物たちの政治的な駆け引きをめぐるドラマは退屈だった。だから、総じてあまり面白く思えなかった・・・。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:32:13

2011/11/12 土曜日

野球

今日は午前中、所用で出かけて、午後は家でゆっくりと日本シリーズを見ていた。世間的には全然、盛り上がっていないような気がするが、いい試合だった。一方で、昨日は巨人の内紛が噴出している。映画では『マネーボール』が公開されたので見るのが楽しみ。(以前、ノンフィクションの原作を読んでとても面白かったので。)

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:22:45

2011/11/11 金曜日

『エンディングノート』

今日は、『エンディングノート』(監督:砂田麻美)という、これまた話題になっているドキュメンタリー映画を見た。僕の住んでいる錦糸町のシネコンでも上映してるぐらいだから、ヒットしているのだろう。実は、僕はこの映画を見る気がなかった。なぜなら、この映画は父親がガンで亡くなって行くことを娘が撮った、と聞いていたので、僕は父が亡くなって5年経つとはいえ、どうしてもあの頃のことを思い出しそうで、見たくなかったのだ。けど、ちょっとしたことがあって、見ておいた方がいいと思ったので見に行った。確かに映画は、上記のような映画なのだが、構成・編集がとても高度に出来ていた映画だった。本当はラストシーンである、葬儀のシーンから始まり、時制をものの見事に展開し(近い過去や大過去に自在に映像が切り替わる)物語を飽きさせないようにつないでいく手腕はすごいと思った。が、同時に、そこまでやっていいのか、という不安も正直感じた。僕はどうもうまく語り過ぎるドキュメンタリーには警戒感が働くらしい。加えて、監督が(最初は監督の声とは思っていなかったのだけど)父親の内面を勝手に斟酌してナレーションで語るので、面白くする仕掛けはさらに整っている。こうした技巧は特に前半部分に集中していて、後半からは父親の健康がさらにすぐれなくなってからは、ナレーションも少なくなり、じっくりと見せるトーンに代わって行く。この変化も実によく出来ている。・・・というのが映画の作りに関しての感想。僕は映画を見ながら、やはり父の場合と比較して見ていた。まず、この映画の父親・砂田知昭さんと僕の父はどちらも胃がんで、末期がんだった点が共通していた。けど、砂田さんの方が少し元気そうだった。なぜなら、闘病がしばらく続いたようだし家にも帰れていたし旅にも行けていたし、食べるものもそれなりに食べていたようだから。(抗がん剤の治療とかは大変だっただろうけど、そうしたシーンはほとんど出てこない。)僕の父は、検査入院から結局3週間後に亡くなってしまったから。もうひとつ共通していた点があって、砂田さんの病状の進行は思っていた以上に早く、余命がかなり短いことが分かるシーンがあり、家族は結局、そのことを砂田さんに伝えない決断をする。僕の場合は、父は胃の手術をしたのだが、全く処置できないことが分かり、結局、何もせずそのまま体を閉じた状態だった。要は抗がん剤にしろ、何にしろ、治療は出来ないということで、その後は緩和ケアしかなかった。父の兄姉、僕と妹で相談して、父にはそのことを伝えないことに決めた。(胃がんの手術をすることは伝えていたけど。)医者から、本当のことを伝えた場合、急激に悪化する可能性がある、と言われたからだ。だから、父は手術が成功して胃を取った、と思っていた。短い時間とは言え、亡くなるまでずっと本当のことを伝えなかったことはつらかった。父はもっとつらかった、と思う。今でもあの決断でよかったのか、思い出すことがあるが、ああしか出来なかった、というのが本音だ。映画の砂田さんはそれでも、さすがに亡くなる数日前には死期を悟っていたようだ。僕の父は、多分、亡くなるほんの少し前まで、死ぬとは思っていなかっただろう。(それほど、緩和ケアの効果が絶大だったのは驚きだった。)映画の砂田さんと僕の父の大きな違いは、父は熟年離婚していたので、夫婦のつながりがなかったことだろう。(当然、僕の母親、父の元妻は一度も病室には来なかった。僕はそのことは当然だと思っていた。)まぁ、他にもいろんなことを思い出したのだが(例えば葬儀のことなど)長く書きすぎたのでこの辺でやめておこう。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:45:26

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