2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2011/11/9 水曜日

撤収

今日は午後から新・港村に行って、VIDEO ACT!の出展ブースの撤収を行う。と言っても、展示していたサンプルDVDを宅急便で送るだけだったので、あっと言う間に作業は終わったのだが・・・。他のブースもすっかりかたづいているところがほとんどで、宴のあとの寂しさが漂っていた。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:05:09

『サウダーヂ』

今日はユーロスペースで『サウダーヂ』(冨田克也監督)を見た。各方面からの好評の声を聞いてどうしても見たくなった。チラシ等のイメージから勝手に思い描いていた作品とはかなり違っていた。どうしたわけか、僕はもっとハチャメチャな作品かと思っていたのだがそうではなかった。非常にごった煮感満載の映画なので、簡単にストーリーを紹介するのは難しい。映画のHPの言葉をそのままコピーすれば、崩壊寸前の土木建築業、日系ブラジル人、タイ人をはじめとするアジア人、移民労働者たち。そこには過酷な状況のもとで懸命に生きている剥き出しの“生”の姿があった、とある。実際、撮影が行われた街に住む人たちがキャスティングされているようだ。この映画に関しては、「郊外」「地方都市」「リアリティー」などという言葉が語られると思うのだけど、僕は見ながらどうもそれらの言葉ではしっくりこないなあ、と思っていた。そこでふと思ったのは、「地元映画」というものだった。(思いついたきっかけの一つは、この夏、僕も参加した岡山での美術展「朝鮮学校ダイアローグ」の副題が「もうひとつのジモト」だったことにもある)少し前には、「ジモティー」なる、ちょっと侮蔑的な言葉が使われたことがあったが、この映画から漂ってくる気配は、この「地元」感だと思ったのだ。例えば、映画の舞台は山梨県らしいのだが(映画内では明確には街の名前は出てこない)方言丸出しのセリフ、ロケ地の佇まい、キャスト達の面構えと身体性などから、濃厚に地方感(前にも書いたが、東京から対比して)が表れる。だが、その地方感には、嘘っぽさがない。なぜ、こういうことを書くかと言うと、近年、「地方発」をうたった映画が多数製作されているが、その内実は東京のスタッフ・キャストが地方ロケで作った映画が多く、一種の「疑似地方」映画も多いからだ。それらの映画では、ことさら地方の純朴さを強調してみたり、あるいは疲弊した地方を強調してみたり、物語の舞台装置として「地方」が選ばれている感じがしてしまう。確かに、映画というものは、どんな国・どんな場所・どんな人でも描けてしまうでたらめさが魅力の一つではある。そういうことを踏まえても、本作の「地方」感には「本物」が持つ魅力があふれている。そのことを僕は「地元映画」と呼んでみたくなった。なぜ、こういうことを考えたかと言うと、先日見た『ひかりのおと』を見た時にも、未見ながら本作のことを勝手に思っていて、映画のベクトルは全然違うものの、何か共通した匂いを感じたからなのだ。単純な共通項で言えば、監督がよく知っている町で、身近な人たちをキャストに選び、身近で見聞きしてきた話を巧みに物語に盛り込むことによって、唯一無二の、その土地からしか生まれない映画=地元映画が出来ているのではないか、と思う。まぁ、本作、映画の本来の話からえらく遠くの話を書いてしまったが、僕は今日本映画で起きている地殻変動はとても面白いな、と思っている。(ああ、結局、映画の感想がどこかにいってしまった・・・。)

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:09:32