2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2011/10/11 火曜日

山形国際ドキュメンタリー映画祭2011、感想

昨晩は眠たくて書けなかったので、山形国際ドキュメンタリー映画祭で見た作品の簡単な感想を。(順番は見た順番)

8日

『監獄と楽園』インドネシア・バリ島での爆弾テロをめぐる作品。この作品のすごさは、テロ事件の犯人達に監獄内で取材していること。彼らがテロに向かう考え方が分かる。刑務所での取材が基本的に出来ない日本だとこういう作品は作れないな、と思ってみていた。(だからこそ、日本でも見てみたいのだけど。)もうひとつは、テロ事件の犯人の子ども、被害者の子どもを映し出す。決して洗練されていない、ごつごつした作品だけどこういう作品は好きです。

『隣る人』若くて大活躍中のプロデューサー、大澤一生さんがプロデューサーと知って見に行った。児童養護施設のドキュメンタリー。施設職員と児童の関係がとても丁寧に描かれている。端正な作品。

『飛行機雲(クラーク空軍基地)』フィリピンのクラーク空軍基地跡の土壌汚染について描いた作品。4時間もあるけど、題材に興味があったので見た。よくなかった。被害者の描き方も中途半端だし、なぜだか風景のカットはきれいなのだけど、人が出てくるシーンに力がない。また、アメリカによるフィリピン侵略史が随時挿入されるのだが、この構成はやり過ぎだと思った。土本典昭監督に捧げられている作品だがそれも少し空しい。どっと疲れた。

『遊牧民の家』とてもポエティックな作品。シナイ半島ベドウィン女性たちを描く。(監督も女性。)幻想的で詩的な描き方で、フェミニズムの萌芽を切り取っている。僕の中では可もなく不可もなく。

9日

『よみがえりのレシピ』監督の渡辺哲史さんを知っているので見に行った。2年ほど前から出身地である山形に東京から帰り、一から製作費員会を立ち上げて製作を進めていることを知っていた。だから見たかった。この日が初上映。傑作だと思います。日本に古くからある在来作物をめぐる作品。農作物も一種、工業化されていてスーパーなどで売れない品種は栽培されなくなっている。この映画では山形県で細々と在来品種を栽培している様子が映される。同時に、この作物の特徴に注目した漬物屋、イタリアン料理のシェフの姿も。とにかく、出てくる人たちがみんないい笑顔をしていることが気持ちいい。と同時に、食や日本の文化を深いところで考えさせてくれる。映画の作りとしてはオーソドックスだけど、とかく基本を無視した若手の監督が多い中で、基本をしっかりと押さえながら作っている渡辺監督のような人はとても貴重だと思います。山形では11月5日から公開。全国公開を期待。絶対、大ヒットします。

『龍山(ヨンサン)』2009年ソウル市ヨンサン地区の再開発をめぐって、住民と警察が衝突。5人が火事で亡くなった。この事件についての作品。事件のことは知っていたので見に行った。映画で事件の背景など知れるか、と思っていたのだがあまりそういう作品でもなかった。監督は1981年の光州事件などにも遡り、自分が運動に関われなかったことを内省的に語る。ふと、日本の70年代を想起した。

『ソレイユのこどもたち』多摩川下流で水上生活をする人のドキュメンタリー。坂口恭平さんから水上生活している人の話を聞いたことがあったので、ぜひ見たかった。いい作品だった。出てくる人の強烈なキャラクターと水上生活の様子が淡々と描かれる。淡々としてはいるが映画ならではの表現に昇華している。

『けの汁』『フレーフレー山田』『東北芸工大3.11』今回の山形国際ドキュメンタリー映画祭で重要なプログラムは東日本大震災復興支援プログラムだろう。僕はあまり見なかったのだが。先に書いた3本はこの枠で上映されたもの。『けの汁』はあおもり映画祭からのエールとして上映された劇映画。「けの汁」とはつがるの郷土料理だそうだ。主演は青森県出身の三上寛。『フレーフレー山田』僕にとって今回山形で見た中で最大の問題作。(冗談です。)以前から交流のあった岩手県山田町を法政大学応援団が訪問する。久しぶりに法政のいろんな応援を聞いた。いまだに校歌を口ずさめる自分って・・・。(でも、今の法政大学は嫌いです。)『東北芸工大3.11』は、短編(3分11秒)9本の劇映画。学生作品。いかにも学生が作った映画の雰囲気に少し気恥ずかしくなった。

『バシージ』バシージとはイランの市民兵組織のことだそうだ。監督はイラン出身で現在はフランス在住。映画は冒頭、イラン・イラク国境の荒涼とした、だけど観光客が絶えない不思議な景色を映し出す。ここで語られるのは殉教者の話。ここでの語り部でバシージのメンバーを中心にイランの政治について語られる。監督は何度もイランの抑圧体制について対話を試みるがうまくはぐらかされてしまう。このはぐらかされる様から逆にイランが浮かび上がってくるようだ。「対話」が今回山形で見た作品のキーワードだったことを後で気づいた。

10日

『仙台短編映画祭3.11『明日』』仙台短編映画祭が3.11をテーマに製作したオムニバス映画。参加監督数はなんと41人。ほとんどが劇映画。で、僕は映画を見ながら、フィクションを想像・創造する力が3.11後、何か大変やっかいなことになっているんじゃないか、と感じてしまった。各々の作品の完成度・アプローチは千差万別なのだけど、どこか心に響いてくるものが乏しい。各短編は直接3.11には触れていないものも多いのだけど。そういう自分も3.11をテーマに短編を作らなければならず、いまだ煮え切らず・・・。

『殊勲十字章』おおざっぱに書けば、ベトナム戦争についての映画。冒頭数分を見逃した。映画はベトナム戦争について語る父の話を息子2人が聞いている様子が中心。父の話は戦場のリアルを感じさせはするものの映画としてはそれほどいいとも思えなかった。

『ネネット』日本でも多くの作品が公開されている、ニコラ・フィルベール監督の作品。ある意味、僕が今回山形で見た作品の中で、究極の1本だった。なぜなら、70分の上映時間、人が全く映らない。(正確には3カットだけ人らしき姿が見えるが。)画面はひたすらオランウータンのネネットを映す。かと言って、最近はやりのネイチャー映画でもないし、ましてや日本のテレビ番組のようでもない。ネネットは40歳のお婆さんなので、動きも緩慢だし、ぼうっとしてるシーンがほとんど。では何が「映画」にしているかと言うと、ネネットを見る客の声、飼育員のインタビューなどが音声として聞こえてくるからだ。面白い、のかどうか僕は判断付きかねている。

『川の抱擁』コロンビア・マグダレナ川をめぐる作品。映画は前半、川の精霊・モハン(日本の河童みたいに思えた)について語られる。民俗的な映画なのかと思っていると、後半、川を流れてくる死体の話になる。日本で言えば(さすがに殺すことはまれだったが)、バブル期の地上げのように、村から住民を追い出すために次々と人が殺されているようだ。川で死体を見た話を淡々と語る様子は怖い。ただ、僕としては語りだけでなく、過酷な現場にもカメラを向けられなかったのか、とも感じた。(映画はとても美しいのだけど。)

『城壁』日本でも多数の作品が公開されている、アトム・エゴヤン監督(今回、山形映画祭の審査員)のプライベート色の強い作品。監督の妻が20数年ぶりに故郷・ベイルートに帰郷する時に同行。映画は未来の息子へのビデオレターとして語られる。妻の懐郷から徐々にベイルートの内戦の様子が浮かび上がってくる。軽妙なナレーションもあって面白く見られるが、でも、やはり作品としての強度はそれほどでもないな、と思った。

長々と書きましたが、僕の私的な感想です。

未分類 — text by 本田孝義 @ 13:20:14

山形国際ドキュメンタリー映画祭2011

8・9・10日の2泊3日、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011に行ってきた。3日間で計14本の映画を見た。(内短編集2本含む。)作品の感想はまた明日にでも。

さてさて、今日、10日から新作「モバイルハウスのつくりかた」のスタジオ整音作業が始まった。15日にミックス。来週には完成予定。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:54:39

2011/10/8 土曜日

『猿の惑星 創世記』/『フツーの仕事がしたい』

今日は『猿の惑星 創世記』を見た。予告編を見た時は、またビギンズもの(かつての作品の前日譚を描く作品がやたらと多い)、それもあの傑作『猿の惑星』の始まりの話と知って、やめときゃいいのに、と思っていた。で、見てみたらこれが予想以上に面白かった。特に僕が興味を持ったのは、猿が反乱を起こすのが、広い意味でバイオハザードだったことだった。(以下、ネタバレ含む)アルツハイマー病を克服するための治療薬が猿に投与される。(もちろん、現実でも治験で猿に投薬されることはよくあること)そこから、脳が発達した猿が生まれる。簡単に言えば、この猿が反乱をおこす猿のリーダーになる。同時に本作では先の治療薬が人類にとっては破滅への一歩になることが示唆される。(続編があるのかも・・。)こういう設定は荒唐無稽、とはいえない。本作では明確な描写はないが、治療薬は間違いなく、遺伝子操作で生まれたものだろう。また、製薬企業が売り上げ至上主義に走ることも現実にあるわけだ。(ここ日本でも薬害エイズが起きたわけだし。)思えば、『猿の惑星』が公開された1968年以後、1970年代に遺伝子工学は爆発的に発達するわけで、現在に作られる前日譚としてはなかなか重要な要素を組み込んだな、と思う。同時に、すごいのは猿のCG。表情まで生き生きと描かれる。そのことがドラマ性の奥行きまで与えていて、僕は映画を見ながら、野性と知性の関係についてずっと考え続けていた。

夜は、横浜の新・港村で『フツーの仕事がしたい』の上映。久しぶりに見たのだが、主人公の生コン運転手・皆倉さんが仕事をしているのは結構、横浜周辺だったことに気付いた。そういう意味で、目の前にみなとみらい地区が広がる場所で上映出来たのはよかったと思う。

明日から3日間、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行くのでブログはお休み。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:45:02

2011/10/7 金曜日

明日の上映会

明日、下記の上映が行われます。ぜひ、足をお運びください。

●「フツーの仕事がしたい」DVD発売直前記念イベント(上映&土屋トカチ監督トーク)
10月7日(金)19:30~21:30
映画公式サイト:http://nomalabor.exblog.jp/
※上映は新・港村内、会場はスーパースクールにて。
BankART LifeⅢ
新・港村公式サイト:http://shinminatomura.com/
参加費:いずれも500円(当日、会場にて)
※参加費とは別に、以下のBankART LifeⅢのチケット(新・港村パスポート)料金が必要です。
一般当日 300円 / 大学生当日 250円 / 高校生当日 200円

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:24:14

2011/10/6 木曜日

メタボリズムの未来都市展/『監督失格』

六本木の森美術館で「メタボリズムの未来都市展」を見る。建築に詳しい人なら”メタボリズム”と聞いてすぐ分かると思うのだが、知らない人に説明しようと思うと少々ややこしい。簡単に書くと1960年からおきた日本の建築界でブームになった、都市・建築を固定したものとして考えるのではなく、生物の新陳代謝をモチーフにした、有機的な都市・建築の考え方をいう。実は僕はこのメタボリズムにちょっと胡散臭いものを感じていてこの展覧会を見に行ったのだが、自分が感じていた胡散臭さが何だったのか、分かったような気がする。これも説明するのはなかなか骨が折れるのだが、生物の持つ増殖性や変化を建築に取り入れようとした、建築家のアイディア・情熱はよく分かる。けれどもここに「不幸」があるのは、どの建築・都市計画もそのベースはどこまでいっても近代建築であって、コンクリートが建築材料なのだ。どんなに有機的なデザインに見えようとも、個別のモジュールなどもコンクリート造であることは変わりがない。もし、本当に生物的な新陳代謝を本気で求めるなら、材料も木材などの方がもっとふさわしいはずだ。ということを考えていたら、ある仮説にたどりついた。本展覧会が、丹下健三の広島ピースセンター(現在の原爆資料館)から始まっているのを見て、メタボリズムが始まった1960年というのは戦後15年、あの戦争の災禍を脱出しようとする空気がまだ残っていたのではなかろうか。なぜこれだけコンクリートが建築で一般化したかにはいろんな理由があるが、日本の戦後だけを考えてみると、焼夷弾による空襲で家・都市が焼けてしまった光景からの反省・脱却があるのではなかろうか。(たまたま今読んでいる本に、アメリカは日本の家屋をよく研究していて、木造のモデルハウスまで作って焼夷弾の実験をしていた、という話があった。)とにかく、都市計画も建築も「焼けない」ことが重要だったのではないか、と思った次第。だから、メタボリズムがいかに有機的なデザイン・考え方をしようとも、コンクリート造は手放せなかったように思うのだ。もし、今、生物的な、有機的な建築を考えるなら、建築素材も有機的なものを考慮に入れたものになるのではないか、と思う。(もっとも、「燃えない」建築は今でも変わっていないので、防火対策を名目に都市では木造建築を作ることはほぼ不可能。)最後の方で、頭はふと東北被災地の復興のことが浮かんだが、これはまた長くなるので省略。あれこれちょっと否定的なことを書いてしまったが、個別の建築家ではなく、ある時代の建築の潮流を見せる展覧会としては貴重。展示もとても見やすくてよかった。

その後、同じ六本木ヒルズで『監督失格』http://k-shikkaku.com/ (監督:平野勝之)を見る。(本当はこちらを見ようと思って上記の展覧会を思い出し行った次第。)あまりにも評判がいいので、逆に僕は見るのをためらっていた。見るのは覚悟がいるな、と漠然と思っていた。だから見るのが怖かった。その怖さは半分当たっていた。映画は前半、以前平野監督が作った『由美香』のシーンが占める。僕も公開当時見ているが、もうかなり前のことなので忘れていることが多い。うろ覚えで書くなら、本作に使われている映像は、『由美香』では使っていなかった映像も多いような気がする。あえて比較するなら、平野監督の思いが伝わる映像が多いという印象を持った。林由美香に僕は思い入れはないので、前半はいつか見た映像を反芻している、そんな感じだった。けど、こういう僕ですら、林由美香が死んでしまったのは知っているので、複雑な気分ではある。映画は後半、林由美香と別れた平野監督が林由美香の幻想に悩まされるがごとく、つかずはなれずの関係が続く。そして、数年ぶりに林由美香を撮影しようとしていたところで彼女の死を目撃してしまう。これは映画監督の業というかなんというか、彼女の死を発見する時、ビデオカメラがそこにあり、映像が残されて「しまった」。(元々は平野監督の弟子がカメラを回していた。死体を撮るようなことはなく、カメラは無造作に廊下に置かれたままその場の状況を記録し続けている。)林由美香の母親の慟哭に比べ、平野監督は冷静に見える。(いや、あの場ではそうするしかなかった、のだと思う。)こういう場面を撮ってしまったことは映画監督にとって不幸なのか、幸福なのか。(そういう意味で、主題歌を歌う矢野顕子のタイトル「しあわせなバカタレ」というのはすごい言葉だ。)とにかく、平野監督はそれ以後、カメラを回せなくなってしまう。その5年後に出来たのが本作。映画のラストシーンに胸が突かれる。本作は明日から始まる山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナルコンペ部門にも選ばれている。

未分類 — text by 本田孝義 @ 1:00:32

2011/10/4 火曜日

録音作業、始まる

予定より1週間ほど早く、スタジオでの録音作業が始まった。今日はその冒頭の作業に立ち会って、スタジオのいいスピーカーで音を聞いていると、自分の撮影ではいかに無茶苦茶な音しか録れていないかを痛感する。整音作業でどの程度聞きやすくなるか分かりませんが(何せ元の音が悪ければ限界がある・・・)少なくともお金がないので整音作業も自分でやろうとしてたことを思うとぞっとする。自分には絶対無理な作業だった。本格的な作業は来週になるが、15日にはMixの予定。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:53:08

2011/10/3 月曜日

『ニュータウン物語』上映

久しぶりに『ニュータウン物語』が上映されます。ぜひ、足をお運びください。

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■市田邸で『ニュータウン物語』(2003年/103分)
●日時:2011年10月16日(日)①13:30~②16:30~(①と②の間に本田監督のトークあり)
●場所:市田邸(台東区上野桜木1‐6‐2)http://www.taireki.com/map/index.html
●入場料:1500円(市田邸保存協力費込み)※要申込
●問い合わせ・申込先:芸工展実行委員会(090-7706-9157)(12:00~17:00))
info@geikoten.net
●主催:芸工展実行委員会

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:00:43

アーティストの目に映る郊外

今日は夜、UPLINKに行って「アーティストの目に映る郊外」を見てきた。昼間、書籍を読んでいたのだけど、まだ半分ぐらいしか読めなかった。第一部では『新景カサネガフチ』(佐々木友輔 監督)の上映。とても不思議なテイストの映画だった。ごく大雑把に書いてしまえば、郊外(この映画の舞台は取手)の風景論とも言うべき映画なのだが、いくつもの仕掛けがある。まず、怪談としても有名な累ヶ淵の話がポツリポツリと語られる。そして語っている夫婦は未来から現在を語る、一種SF的な設定を持つ。さらにややこしいのが、この夫婦のモノローグを女性の同一人物が語っている。こうした重層的な構造を持ちつつも、映画はひたすら郊外の風景を切り取っていくのだ。僕が映画を見ながら気になっていたのは、散歩しているシーンなのに、なぜ映像は自転車に乗って撮られているのだろう、と思っていたのだが、上映後のトークで佐々木監督が「16:9の画面だと歩いて撮ると縦ぶれがひどいから」と言っていて少し納得。でも、そのブレでも歩く速度がいい場合もありそうな気がしている。第2部では小谷元彦さん(美術家・彫刻家)、藤原えりみさん(美術ジャーナリスト)、藤田直哉さん(SF・文芸評論家)、佐々木友輔さん(映像作家・企画者)によるトーク。内容は多岐にわたるが、藤原さんが「この映画は怖い」と言った所から、ゴーストについての話がひとしきり盛り上がる。その話を聞いていて、僕が『ニュータウン物語』を撮っていた時に感じていた、「ニュータウン(郊外)には”死”がない」(本当に死なない、という意味ではなくて死を受け入れる、坊さんやお墓などの仕組み)と思っていたことを思い出し、最近、そうした郊外にはセレモニーホールが徐々に増えつつあることにも頭がよぎった。だから、つい、質問してしまった・・・。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:05:37

2011/10/2 日曜日

「トポフィリア・アップデート」/『レジェンド・オブ・フィスト』/試写

最近、ある所でイベントのチラシを見て気になったものに「郊外からうまれるアート」というのがあった。残念ながら知らなかったのだが、今年、「floating  view」という展覧会があったそうだ。その書籍が出ていて、執筆者には以前お世話になった方もいて、俄然、本を読みたくなって購入した。(まだ読めていないけど。)そして、「floating view2 トポフィリア・アップデート」という展覧会も開催中で見に行ってきた。「トポフィリア」は人類学者イー・フー・トゥアンによる造語で
「場所への愛」を意味する、のだそうだ。(トポフィリア」という本は以前買ったけど読んでない・・・)想像していたより小じんまりした展覧会会場だった。いくつか面白い作品もあったけど、なかなか僕の中では郊外像には結びつかないこともあった。(もっと幅広い捉え方だとは思うけど。)明日のイベントも気になっている。

その後、映画の日ということもあって、『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』http://www.ikarinotekken.com/ を見た。タイトルからも分かるように、ブルース・リーの『ドラゴン 怒りの鉄拳』につながる作品。当然、ブルース・リーはいないわけで、主演はドニー・イェン。僕はドニー・イェンのファンではないので、うっかりチェックしていなかったのだけど、監督が僕の好きなアンドリュー・ラウなので見たくなった。映画は冒頭、第一次世界大戦中、フランスに傭兵として参加した中国人の一段のシーンから始まる。このシーンがすざまじい。僕はなんどか身震いした。普通の映画ならこのシーンがクライマックスでもいいほど。そして、ドニー・イェンが超絶なアクションを見せる。その後、主人公・チェン・ジェンは中国へ帰り日本軍との闘いへ進んでいく。途中、『グリーン・ホーネット』でブルース・リーが演じた役と同じようなブラックマスクが登場するのも御愛嬌。(実際、『グリーン・ホーネット』映画版を当て込んで登場させたらしい。映画版のへなちょこぶりに比べれば、断然こちらのほうがカッコいい。)クラブや上海の街並みなど豪華なセットも見どころだが、人間関係の描写がちと弱く、少々かったるい。それでも、最後のドニー・イェンの大アクションシーンは圧巻。ただ、アンドリュー・ラウの映画としては、題材的には難しいだろうけど、もう少しスタイリッシュな映像も見たかったかも。

夕方、谷中近くの市田邸 http://www.taireki.com/ichidatei/index.html に行く。なんでも築100年を超える、古い家だそうだ。今年で19回目になる谷根千界隈で開催される、芸工展で16日(日)にここで『ニュータウン物語』を上映してもらうことになり、映写状況を見る意味もあって、関係者試写をした次第。幸い、関係者の方々には好評だったようでほっとした。近々、上映情報もお知らせします。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:27:12

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