2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

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2008/1/20 日曜日

八ッ場ダム/川原湯温泉/湯かけまつり

知人に誘われて、久しぶりに1泊2日で旅行に行ってきた。

行ったところは川原湯温泉。「ああ、温泉に行きたい!」と思ったわけではなくて、知人からここの温泉街は八ッ場ダムの建設によって、水没すると聞いたからであった。八ッ場ダムと言えば、関東近県で現在建設されているダムで、様々な問題が指摘されたりしていて気になっている場所ではあった。ダムを舞台にドキュメンタリー映画を撮った者として、チャンスがあったら行ってみたいなあ、とは思っていた。

まず、昨日は昼過ぎに着いて、高田屋旅館にチェックイン。30分ほど歩いて、八ッ場ダムの広報センターであるやんば館に行ってみた。年表を見ていると、20年ぐらい前までは灰塚ダムとほぼ同じような歩みをしていることが分かった。生活再建地を作る、という方式も同じだ。ダムの堤体としては八ッ場の方が高さとしては2.5倍ほど高くて巨大。湛水面積は灰塚の方が広いようだ。工事の進捗状況を見ると、堤体の建設はこれからで、生活再建地の一部が出来て、昨年から移転が始まったようだ。見ると温泉街も移転する予定らしい。(後で知ったのだが、源泉はそのままにパイプで再建地に湯を運ぶのだとか。)また、ここがいかに大規模な建設現場であるかは、水没地に鉄道の駅があるので、線路も高い位置に付け替えて、当然、駅も新設される。加えて、山間に長いトンネルを掘ることになるらしいい。道路は当然付け替えられる。深いダム湖のようで、架かる橋の橋脚もやたら高くてばかでかかった。また、利根川水系にあたることから、「治水」「水道用水」の恩恵を受けるのは、下流域の東京に住む私のような者のために作られるダム、ということもよく分かる。(少なくとも表向きの説明は。)ダムはかように「都市問題」なのだ。

その後、旅館に戻って温泉に入る。温泉の入り口にダム建設・反対運動の歴史が簡単に書かれてあり、あらためて水没する温泉なんだと実感する。早めに就寝。

次の日の朝4時過ぎに起きる。なぜかと言えば、1年に一度のお祭り、奇祭とも言われている”湯かけまつり”が5時から始まるからだ。外は零下7度。さすがに寒い。太鼓の演奏の後、神事。裸の男たちが現れて、「お祝いだ!」の掛け声とともに赤白に分かれて、お湯をかけあう。「お祝いだ!」の掛け声は、かつて温泉が枯渇した時、神事を執り行ったところ、再び温泉が出るようになり「お湯沸いた」と言っていたらいつのまにか「お祝いだ」になったそうだ。とにかく盛大にお湯をかけあうものだから、見物人にもお湯がかかる。僕も頭からお湯をかぶってしまった。テレビの取材が4つほどあったようで、ラッシャー板前さんも裸でお湯をかけあっていた。とてもエネルギッシュなお祭りだった。

旅館をチェックアウトした後、ダムエリアを歩いてみる。近くでは分からなかったけど、それなりに建設は進んでいる模様。再建地ですでに畑を作っている人もいた。また、神社も昨年移転したようだ。民家も基礎だけが残った箇所をいくつも見たので、移転した人もいるのだろう。

それでも、ダムが出来た姿を想像するのは難しい。僕の場合は灰塚と比べながらどういう風景になるのか一生懸命想像力を働かせていた。実際にダムが出来るのはあと10年近くかかるのではないだろうか。

ダムの是非についてはここでは書かない。ただ、この町に住む人々が温泉街も含めて、生活が再建されることを望みたい。そして、湯かけまつりの継承も。いや、あのエネルギーがあれば必ず水没と言う過酷な状況を乗り切れると信じたい。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:26:02

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