2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

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2008/12/22 月曜日

なんとなくセンチメンタル・ジャーニー

12月20日

昼過ぎに新幹線に乗って、岡山へ。ちょっと早く着いたのだが、市内で晩御飯を食べてから実家(と言っても誰も住んでいない・・・。)に帰らないと、何も食べれなくなってしまうから、食べることに。今回は、岡山に来る前から、無性に、「野村のカツ丼」が食べたくなっていたので、店を探す。ここはデミグラスソースのカツ丼が有名で、ファンも多く全国的にも有名。僕も久しぶりにこのデミグラカツ丼を食べる。ここも、子供の頃父に連れて行ってもらった処だ。看板には「お父さんも食べた お母さんも食べた 野村のカツ丼」のキャッチコピー。確かにそうだ。

少し街を歩いてみると、駅前の大きな映画館が取り壊されていた。これで、思い出の映画館はことごとく消えてしまった、という感じだ。中心市街地の映画館は、完全に郊外のシネコンに押されているのだろうか。おっさんの感傷なのだろうけど、やっぱり淋しい。

夜、誰も居ない家に着く。早めに就寝するも、夜中に目が覚める。無理してもう一度寝る。

12月21日

朝8時過ぎに、妹の旦那さんに迎えに来てもらって、県北の父の実家(当林寺、というお寺。)に向かう。1時間ちょっとで着く。父の兄・姉妹、僕の妹の旦那さんのご両親など、皆さん早く揃う。思えば僕は親戚付き合いなんて、ずっとしていなくて、全く疎遠になっていた。けど、父の入院以後、親戚の方々にはお世話になりっぱなし。僕自身、お寺の慣習などにも疎く、随分粗相があったんじゃないかと思うのだけど、とにかく出来ることはしようと思ってきた。3回忌、というのはやっぱり何かの節目のような気がする。父の希望もあって、お寺の裏の本田家の墓に父は入っている。墓参りをした後、皆さんと会食。

その後、妹の家に行った後、もう一つの父が入っている墓に参る。このお墓もお寺のお墓。そういう意味では、僕はお墓に関しては特に考えることもなかった。お参りをしながら、多分、これからはあんまり来れなくなるんだろうなあ、と思う。東京と岡山はやっぱり遠い。

夜、妹家族と食事をして帰宅。

12月22日

朝、変な夢で起きる。思えば、この部屋は子供の時から僕の部屋だった。(一時、父が使っていたけど。)昨年、家の中のものを整理したから、何も残っていないのだけど、何がしかのことを思い出さなくもない。普通、これだけ東京に出てきてから長くなると、実家との縁なんて遠くなると思うのだけど、僕の場合、『ニュータウン物語』を撮っていた時に、ずっと実家を拠点にしていたから、再びつながりが出来た。父との関係も、この時期がなければもっと疎遠だったに違いない。

その家も、借りてくれる人が見つかった。もう30年以上経つ古い家だけど、それでもいいと言ってくれたので貸すことにした。以前から知っているご夫婦。家の中をもう一度一緒に見て、契約書を交わした。ちょっと形式的かなあ、とは思ったものの、何かあった時に逆にお互い嫌な思いをするのも嫌なので、契約書を作らせて貰った。これで気になっていたことも一区切り。

今回、岡山に行く時になんか言葉に出来ない、複雑な気分があった。その理由が分かった。いろんなことに区切りがつくと、岡山との縁が急に遠く思えるからだ。心情的にはそうじゃない、とは思っていても、岡山に行く理由はめっきり減っていく。それは淋しいなあ、と感じていたのだけど、逆にそこは成り行きに任せよう、とも思う。無理して何かをする必要もないし、あえて遠ざかることもない。きっと、また何かあるさ、と思って東京に帰る。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:23:25

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