2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

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2011/11/3 木曜日

『イエロー・ケーキ』/『トーキョードリフター』

今日は2本のドキュメンタリー映画を試写で見た。

まず、1本目は『イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘』(監督:ヨアヒム・チルナー)という、ドイツのドキュメンタリー映画。タイトルの”イエロー・ケーキ”とは、原発問題について詳しい方なら知っていると思うが、ウランを精製して出来る、原発の燃料になる製品のこと。本作はその、ウラン採掘の問題を世界中に取材した作品。僕は福島第一原発の事故が起きてから、いろんなことが議論されるなかで、川上にあたるウラン採掘の問題がほとんど語られていないことに不満があった。最近ではやっと、核廃棄物の問題は広く認識されてきたようだけど、日本は現在、ウランに関しては100%輸入に頼っていることもあって、ウラン採掘はどこか遠い国のこと、自分たちとは関係ないことのように思われているのかもしれない。そんな中、こうした映画が公開されるのはとても意味がある、と僕は思う。映画は東ドイツのウラン採掘から始まる。ウランを採掘しても燃料に使えるのは1%ほどなので、膨大なボタ山=無駄なごみの山が出来上がる。この光景はほとんど黙示録的な風景だ。こうしたごみも当然、放射能を発しており、被曝の危険性があるし、事実、ウラン採掘を行ってきた労働者の多くになんらかの病気がみられるという。その後、映画はナミビア、オーストラリア、カナダとウラン採掘の現場を追う。(ちなみに、この3カ国から日本はかなりウランを輸入している。)僕が特に気になって見ていたのは、オーストラリアだった。オーストラリアから輸入しているのが一番多いはず。ここでは先住民・アボリジニの土地を奪い、ウラン残土からの健康被害も起きている。映画を見て唖然とするのは、とにかく特段の施設もなく、ひたすら残土を捨てている光景だ。映画でも少しふれられているが、ここで採掘されたウランは日本に来ているのだ。同時に、映画では触れられていないが、こうしたウラン鉱山には日本の電力会社の資本も入っている。また、映画のラスト近くになって、除染作業の様子が出てくるが、到底、あの程度ではまともに除染が出来るとは思えない。この映画を見てあらためて思ったのは、結局、人類は核エネルギーをコントロール出来なかった、ということだと思う。蛇足になるが、原発事故後、多くの政治家がエネルギー自給率のために原発が必要だ、という頓珍漢なことを言っているのを聞いて正気を疑った。先に書いたように、ウランは100%輸入だし、すでに埋蔵量の限界も見えている。本当にエネルギー自給率のことを考えるなら、無尽蔵でしかもタダの太陽や風を利用するのは小学生でも分かりそうなものなのに・・・。もうひとつ、蛇足を書くなら、僕の出身県である岡山県には人形峠というところでウラン採掘がおこなわれていた。(現在、閉山)ここでもウラン残土の扱いが大問題となってきたのだった。

2本目に見たのは『トーキョードリフター』http://tokyo-drifter.com/ (松江哲明監督)。先日、東京国際映画祭でも上映され、すでに大きな話題となっている。松江監督の前作『ライブテープ』同様、ミュージシャンの前野健太が街の中で歌う、という部分では同じなのだがかなりテイストの違う作品になっている。まず、前作が全編1カットで撮られていたことに対し、本作はいくつかの場所で撮られている。続けて書けば、本作で最も印象に残るのは、時には手ブレでガタガタする画面だ。(時にはピンボケも。)明らかに量販店で売っているような小型のカメラで撮られている。普通の「映画」なら、何だそれ、となりかねないような画面だが、本作はそのカメラが暗い街、前野の声と呼吸しているような感覚を持っている。一方で、録音はきちんとされていて、そのギャップがより映画の息遣いを高めている。前作と全然違う、松江監督の戦略は今作でも十分生きている、と思った。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:09:11

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