2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

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2011/5/28 土曜日

『アジャストメント』

雨が降って、出かけるのがおっくうになったのだが、そんな日でも歩いて行ける所にシネコンがあるから、出かける気にもなった。まぁ、見るべき映画は多々あると思うのだけど、最近、どうもSF映画を見たい欲求が強くなっていて、『アジャストメント』が気になっていた。特に気になっていたのは、僕が好きな作家、フィリップ・K・ディックが原作だと言うこと。ディック原作の映画には当たりはずれも多く、最近はどうもはずれ傾向が強い、と思う。ディックファンの方にはあらためて言うことではないが、ディック原作の映画が多く作られるようになったのは、『ブレード・ランナー』以後。『ブレード・ランナー』の製作中に死んでしまったから、生前には映画は作られなかった。前置きが長くなったが、『アジャストメント』はどうだったかと言うと、予告編を見た時に感じた、ダメダメ感通り、まぁ、あまり面白くはなかったです。全然ダメ、とは言わないけど。映画は謎の集団「調整局」によって、主人公の人生が変えられてしまう、という、いかにもB級SF映画の匂いが漂うもの。そもそもディックの小説は、多くの作品ではSFにありがちなプロット・ガジェットが出てきて、そうした意味での独創性は薄い。けれども、そうしたある種安っぽい設定の中で、人間の意識をぐいぐい描きこむことによって、実存的な小説へと変容していくのだ。だから、ディックの小説が近年映画の原作として人気なのは、プロットだけを借りて、まったく違う方向へ(往々にしてアクション方向へ)変形しやすい、と思われているからだろう。そこが落とし穴。実はプロットだけなら元々安っぽいのだから。そういう意味で、『アジャストメント』を見ながら、実は、とてもディックらしいなあ、と思いつつ(原作は読んでるはずだけど忘れた)、けど面白くはないなあ、と思っていた。とにかくあらゆることが凡庸。ぱっとしない。あえて強引に言えば、ラスト近くの「どこでもドア」シーン(日本ではこう言うほうが通じるでしょう)は、空間を飛び越えてつなぐという点で、映画の編集の暗喩、と言えなくはないと思ったのだが、そんなに立派なものでもないなと一人で苦笑。それからマット・デイモンのファンでもなんでもないけど、よくよく考えてみたら結構主演作を見ていることに気が付いた。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:44:24

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